俺は根無し草。
週末、大工の知り合いに会いに行った時にいわれた一言が胸に残っているので文字に書き起こそうと思う。
今回は、知り合いのことをしんさんと呼ぶことにします。
しんさんとは、1年ぶりの再開で
「何してた?サイハテ村どうだった?」
から始まり、お互いに近況を話し合った。
その日、2人のときにはコース(流れ)がいつも決まっていて、
朝はコーヒーを飲み、昼はカレーを食べ、午後はボルダリングをする。
とても気持ち良い流れで気分転換でき、こういう1日の使い方もいいなーなんていつも思う。
その流れの中で、新しく人達と出会うことも多い。
そのなかで、しんさんは僕を「こいつは根無し草なんよー」と紹介してくれる。
確かに僕は、この世の中をひたすら浮遊してる存在だ。
旅人ですから、縦横無尽に動いていないと。それに僕は落ち着かないのだ。
これを言われたときに金城一紀さんの「GO」という小説を思い出した。
在日朝鮮人の思春期のお話で、窪塚洋介さんが主演で映画にもなっていて僕は、この作品がすこぶる好きだ。
そのなかのフレーズにこういうのがある。
「ノ・ソイ・コレアーノ、ニ・ソイ・ハポネス、ジョ・ソイ・デサライガード
No soy coreano ni soy japones. Yo soy desarraigado」
スペイン語で発せられた意味は、「俺は朝鮮人でも、日本人でもない、ただの根無し草だ」
根無し草ってあまり使わないけれど、使われるたびにこれを思い出す。
「風土」という言葉がある。
世の中には「風」の人間と「土」の人間がいる。
「土」の人間は、その土地に元々住んでいる人達を指し、「風」の人間は他所からきた人のことを指す。
「風土」とは、その2つが合わさってできるのだ。
なにが言いたいかといえば、社会やコミュニティーはこれがないと成り立たないじゃないかと。
ぼくは、バリバリの「風」で根無し草のようにいろんな「土地」に行き、そこで地元の方たちとお話しするのが好きだ。情報交換。そしていつもぼくは心身ともに救われる。
そうなんですよねー、僕もよく間違えられますが観光には興味ないです。その土地で生活がしたいんです。その土地の人達とお話ししたいんです。 https://t.co/AHiEq2edk0
— びらさん/広島.島根スキー場 (@tacchin922) 2017年11月27日
この動きが、誰かの役に立っていてくれたら嬉しいなーなんて勝手に思っているので、
僕を気になっている人達に会いにいきたいなーなんて思っているのでコメントお待ちしてます。
僕はただの根無し草。
僕はまだまだ根無し草。どこに根を生やすのだろう。
— びらさん/広島.島根スキー場 (@tacchin922) 2017年11月26日
旅はつづく、、、
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